人気ブログランキング |

和字スクールブック

和字ドーンスタイル・和字オールドスタイル・和字ニュースタイル・和字モダンスタイルとは、いわば彫刻系統の書体だといえる。これとは別に、教科書に登場した書写系統の書体もある。これらを総称して「和字スクールブック」と呼ぶことにする。

「サンシャインシティ大古本まつり」の片隅で

漢字でいえば「教科書体」ということになるのだろうが、現状では和字書体としてではなく漢字も含めた日本語書体と認識されるに違いない。和語で「ひのもとのかなめ」という名称も考えたが、これは浸透しなかった。
「和字スクールブック」のカテゴリーでは、小学校教科の書方手本から復刻した「ふみて」、前述の木版印刷による国語や修身の教科書から復刻した「まなぶ」と「さくらぎ」、教科書用活字書体(教科書体)として展開された「しおり」を欣喜堂として制作している。

a0386342_20161545.jpg

「さくらぎ」の原資料、『尋常小学修身書巻三』(東京書籍、1919年)

「ふみて」「まなぶ」「さくらぎ」「しおり」のなかから、私が選び出したのは「さくらぎ」である。


「清朝体」に教科書体の源流をみる

「さくらぎ」は、和字書体三十六景第2集(2003年)のなかの1書体として発売された。組み合わせる漢字書体は、使う人が自由に選べるということにしていたが、漢字書体の選択肢が少ないうえに、合成フォントで使う面倒さも問題になった。そこであらかじめ組み合わせて使用できる漢字書体を制作することにした。
その候補は中国・清代の代表的な刊本字様(武英殿本・揚州詩局刊本)および中華民国時代の金属活字のうちからひとつを選び出すことにした。清代の官刻本の字様を「清朝体」ということにする。したがって明朝以前の楷書は該当しない。清・康熙年間の「熱河」、清・嘉慶年間の「蛍雪」を試作した。揚州詩局の刊本こそ、まさに清代の刊本字様であり、「清朝体」というべきだと考える。
清朝体の代表的なものは武英殿本で、略して殿本ともいう。武英殿本はゆったりとした字様で知られている。そのなかには皇帝自身による著作などがあり、刊行時には「御製」「欽定」などの文字が冠せられた。1711年に刊行された康煕帝の著作は『聖祖御製文集』と称せられた。『聖祖御製文集』の字様をデジタルタイプとして復刻しようとするのが「熱河」である。
官刻本には、武英殿本のほかに地方官庁の刊行したものがある。地方官庁には曹寅が主管した揚州詩局があった。曹寅は清朝を代表する小説『紅楼夢』の作者・曹雪芹の祖父にあたる。
康煕年間には、康煕帝の命により編纂された唐詩全集である『欽定全唐詩』(揚州詩局、1707年)があげられる。その字様は、『聖祖御製文集』のそれをさらに洗練したものであった。武英殿刊本をしのぐ品質とされている。
康煕年間に揚州詩局で刊行された『全唐詩』と、嘉慶年間に同じく揚州詩局で刊行された『全唐文』は、同じような制作システムをとったと考えられる。すなわち書写の担当者を選抜して、同じ書風で書けるように訓練するという手順をふんで刊刻されたものだろう。ところが刊刻された年代が大きく違うということから、その書体はすこし変化しているように感じられる。
嘉慶帝の敕命により董誥らが編纂した『欽定全唐文』は、唐・五代散文の総集である。この『全唐文』の字様は、運筆が形式化されて活気がないと批評されたが、むしろ均一に統一された表情は、活字書体としての機能をもっている。収められた作家の数は3千人、作品数は2万篇にのぼる。皇帝から僧侶、諸外国人に至るまで、あらゆる階層のあらゆる作品を網羅している。
『全唐文』(揚州詩局、1818年)の字様をデジタルタイプとして復刻したのが「蛍雪」である。

a0386342_20152634.jpg

「蛍雪」の原資料、楊州詩局『欽定全唐文』

楊州詩局のふたつの書体

「熱河」「蛍雪」のうち、「蛍雪」を清朝体の代表として制作することにした。

あえて「清朝体」とする


英語の教科書といえば「センチュリー(Century)」

リン・ボイド・ベントン(1844—1932)といえば、機械式活字父型(母型)彫刻機(略称ベントン彫刻機)の発明で知られているが、活字書体開発にも携わっている。その代表的な活字書体がテオドール・ロゥ・デ・ヴィネ(1828—1914)と共同で作った「センチュリー(Century)」である。
デ・ヴィネはアメリカ活字版印刷業組合の初代会頭をつとめた人で、彼の経営するデ・ヴィネ・プレスは技術と品質のたかさで知られていた。センチュリーは、デ・ヴィネ・プレスが印刷していた雑誌『センチュリー・マガジン』のための専用書体としてデ・ヴィネが設計し、リン・ベントンがみずからの彫刻機をもちいて1895年に作られた。センチュリーは、のちに膨大な数のセンチュリー・ファミリーへと展開された。日本でも太平洋戦争前から英語教科書に使われ続けてきた書体であり、いまなお多様な媒体で綿々と使われ続けている。

a0386342_20161533.jpg

「K.E. Virgo-Medium」の原資料、『アメリカ活字鋳造会社活字書体見本帳』(1906年)より

そこで『アメリカ活字鋳造会社活字書体見本帳』(1906年)所収の組み見本から抽出したキャラクターをベースに、日本語組み版に調和するように制作したのが「K.E. Virgo-Medium」である。


日本語書体「さくらぎ蛍雪」 誕生

「KOさくらぎ蛍雪M」は、「KOまどか蛍雪M」「KOはなぶさ蛍雪M」とともに、2006年3月に発売した。欧字書体は K.E. Virgo-Medium ではなく、 K.E.Taurus Medium と組み合わせた。

a0386342_20161577.jpg


使用例として
農林水産省の新聞広告




by imadadesign | 2019-01-15 19:40 | 書体雑記帳[日本語書体] | Comments(0)

「和字ドーンスタイル」(ルード)の書体たち
江戸時代の木版印刷の字様に興味を持ったのは、カタカナと同じように一字一字が独立したひらがなの成立を知りたいと思ったからである。江戸時代の木版印刷にみられる素朴なイメージの字様を、私は「和字ドーンスタイル」と名付けている。和語で「ひのもとのめばえ」ということもある。
『仮字本末』をベースにして制作した「さきがけ」は、「和字書体三十六景第三集」(2005年)のなかの一書体として発売された。和字書体三十六景に含まれる『字音假字用格』をベースにした「もとい/もとおり」、2008年の時点では未制作だった「和字書体十二勝」に含まれる「うえまつ」を制作した。これらを「和字ドーンスタイル」(ルード)ということにする。
一方、同じ和字ドーンスタイルでも幕末の活字書体である「あおい」(和字書体三十六景に含まれる)、さらには和字書体十二勝として制作した「ひふみ」、明治時代初期の活字書体「にしき」(いずれも和字書体十二勝)は比較的柔らかいイメージがあるので、これらを「和字ドーンスタイル」(ソフト)とした。

「もとい/もとおり」
『字音假字用格』(本居宣長著、1776年)

「うえまつ」
『古事記伝二十二之巻』(本居宣長著、1803年)

「さきがけ」
『仮字本末』(伴信友著、三書堂、1850年)

a0386342_20151018.jpg


「和字ドーンスタイル」(ルード)に含まれる「もとい/もとおり」「うえまつ」「さきがけ」のうち、もっとも標準的な書体は「さきがけ」だろう。「さきがけ」を取り上げることにする。

さきがけ 小浜への旅 

※改めて見直してみると、「もとい/もとおり」を「和字ドーンスタイル」(ソフト)に、「にしき」を「和字ドーンスタイル」(ルード)に入れ替えたほうがしっくりくるかもしれない。悩ましいところだ。


宋朝体、三つ巴の戦い 四川・福建・浙江
和字書体「さきがけ」に組み合わせる漢字書体については、使う人が自由に選べるということで制作していた。ところが漢字書体の選択肢が少ないうえに、合成フォントで使う面倒さも問題になっていた。そこであらかじめ組み合わせて使用できる漢字書体を制作することにした。その候補は中国・宋代の代表的な刊本字様(四川・福建・浙江)のうちからひとつを選び出すことにした。試作したのは「龍爪」「麻沙」「陳起」である。
中国・宋は、後周の節度使(軍職)であった趙匡胤〔ちょうきょういん〕が、後周のあとを承けて960年に建国した。開封〔かいほう〕を都とし、文治主義による君主独裁制を樹立した。1127年、金の侵入により江南に移り、都を臨安に置いたので、それ以前を北宋といい、1279年に元に滅ぼされるまでを南宋という。
宋朝体は、中国の宋代(960—1279)の木版印刷にみられる書体である。唐代に勃興した印刷事業は宋代にいたって最高潮に達していた。浙江、四川、福建が宋代における印刷事業の三大産地であり、それぞれが独自の宋朝体をうみだした。唐代の能書家の書風は宋代の印刷書体として実を結んだのである。


「龍爪」
[四川刊本]『周礼』(1163年−1189年)

a0386342_20150565.jpg


※欣喜堂では、四川刊本『周礼』の字様をベースにして、「龍爪」という宋朝体を制作した。

ふたつの展覧会をめぐって 
竜爪から龍爪へ 

「麻沙」
[福建刊本]『音註河上公老子道経』(1193年−1194年)
※欣喜堂では、『音註河上公老子道経』の字様をベースにして、「麻沙」という宋朝体を試作した。

「陳起」
[浙江刊本]『南宋羣賢小集』(1208年−1264年、陳宅書籍鋪)
※欣喜堂では、陳宅書籍舗の臨安書棚本字様をベースにして、「陳起」という宋朝体を制作した。

「さきがけ」との組み合わせを前提として漢字書体を制作しようと考えた時、みっつの宋朝体のうちでは四川刊本字様の「龍爪」がいちばんよくマッチするように思えた。


従属から調和へ
和字書体「さきがけ」、漢字書体「龍爪」に対応する欧字書体として制作したのが「K.E.Aries」である。どうしても制作しなければならないのならば、和字・漢字書体に従属するという考えを超えて、和字・漢字・欧字書体書体が調和させることを念頭に置いた。
制作の参考にしているのは、フランス人の印刷者ニコラ・ジェンソン(1420?−1481)が製作した活字が用いられている『博物誌』(1472年)の1ページである。制作にあたって、ここにあるだけのキャラクターを抜き出して、アウトラインをなぞってみた。

「K.E.Aries-Medium」
『博物誌』(プリニウス著、1472年)

a0386342_20154582.jpg


K.E.Aries-Medium よりよい混植をめざして

復刻にあたって、Monotype Centaur、Adobe Jenson など既存の復刻書体を参考にしながら、不足のキャラクターも含めて制作していった。Monotype Centaurはブルース・ロジャース(1870−1957)、Adobe Jenson はロバート・スリムバック(1956− )によって設計された、ジェンソンのローマン体の復刻書体である。

日本語書体「KOさきがけ龍爪M」の誕生
「KOさきがけ龍爪M」は、「KOもとい龍爪M」「KOかもめ龍爪M」とともに、2008年7月に発売した。

a0386342_20161483.jpg

 
by imadadesign | 2018-12-12 08:36 | 書体雑記帳[日本語書体] | Comments(0)

「和字オールドスタイル」(アーリー)
明治時代の金属活字の和字書体に共通するのは、江戸時代の木版印刷字様がもっていた彫刻風の荒々しさが少なくなり、丸みを帯びた動きのある書風にと変化しているということだ。これを私は和字オールドスタイルとしている。和語で「ひのもとのいぶき」ということもある。
和字オールドスタイルのうち、東京築地活版製造所の活字から「きざはし」、国光社独自の活字書体から「さおとめ」を制作した。また、官業活版の源流を受け継いだ内閣印刷局(現在の国立印刷局)の活字から復刻した「かもめ」もこの範疇ということにした。これらを「和字オールドスタイル」(アーリー)とした。「あおい」は「和字ドーンスタイル」としたが、もともと明朝体風の漢字書体と組み合わされていた書体である。悩ましいところだ。
出自は明らかではないが活版製造所弘道軒の書体と混植されたとみられる活字から「はやと」、東京築地活版製造所と並び称せられる秀英舎鋳造部製文堂の活字から「はなぶさ」、青山進行堂活版製造所の見本帳から(もともとは東京築地活版製造所制作だと思われる)「まどか」を制作した。これらの和字書体もまた丸みを帯びた動きのある「和字オールドスタイル」(レイト)ということにする。
明治時代に制作された書体の中で、「和字オールドスタイル」(アーリー)のうち築地活版製造所五号活字の「きざはし」を選んだ。この書体がいちばんその時代の書風があらわれていると感じたからである。

「きざはし」
『長崎地名考』(香月薫平著、虎與號商店、1893年)より

a0386342_20155011.jpg


「さおとめ」
『尋常小學國語讀本 修正四版』(国光社、1901年)より

「かもめ」
『内閣印刷局七十年史』(内閣印刷局、1943年)より


明朝体 ベスト4の選抜
「きざはし」は、和字書体三十六景第二集(2003年)のなかの1書体として発売された。組み合わせる漢字書体は使う人が自由に選べるということだったが、漢字書体の選択肢が少ないうえに、組み合わせて使うという面倒さも問題になった。
そこであらかじめ組み合わせて使用できる漢字書体を制作することにした。その候補は中国・明代の代表的な刊本字様(監本・藩刻本・家刻本・仏教刊本)のうちからひとつを選び出すことにした。試作したのは「金陵」「鳳翔」「毛晋」「嘉興」である。
明朝体とは中国の明代(1368年−1644年)の木版印刷にあらわれた書体である。1553年(嘉靖32年)に刊刻された『墨子』は、宋朝体から明朝体へと変化する過程にある書体なので、プレ明朝体といえる。
中国・明王朝は、朱元璋(1328年−1398年)が蒙古族の元王朝をたおして、現在の南京に建朝した。朱元璋は明王朝の初代皇帝で、洪武帝(太祖)ともいう。洪武帝の第四子朱棣〔しゅてい〕(1360年−1424年)は現在の北京に燕王として封じられていたが、南京を攻略して第三代皇帝、永楽帝(成祖)となった。永楽帝は、のちに南京から北京に遷都した。
明王朝の正徳・嘉靖年間(1506年−1566年)には、印刷物は貴族や官僚だけのものではなくなり、経済が豊かになった庶民の媒体になった。小説や戯曲などの趣味や娯楽のジャンルの刊本が多く出版されている。
なお、清代後期の「近代明朝体」活字に対して、明代の刊本字様を「古明朝体」ということもある。
木版印刷の三大系統とは、官刻(政府出版)・家刻(個人出版)・坊刻(商業出版)である。このほか、仏教版本を別系統にする場合がある。明代には中央・地方の官刻本だけではなく、家刻本、坊刻本などにおいてもさかんに出版事業がおこなわれた。
明朝後期の万暦年間(1573年−1619年)から刊本の数量が急速に増加し、製作の分業化が促進された。このことにより明朝体の成立に拍車をかけた。印刷書体としての観点から、四大明朝体としてまとめておきたい。つまり明朝体ベスト4である。

「金陵」
[監本(官刻)]『南斉書』(1588年−1589年 南京国子監)より

a0386342_20155066.jpg


「鳳翔」
[藩本(官刻)]『楽律全書』(1595年 鄭藩)より

「毛晋」
[家刻本]『宋名家詞』(1626年−1644年 毛氏汲古閣)より

「嘉興」
[仏教刊本]『嘉興蔵』(1589年 楞厳寺)より


欣喜堂で試作した明朝体は「金陵」、「嘉興」、「鳳翔」、「毛晋」の4書体である。この中からこの中からまずは「金陵」か「嘉興」かのどちらかを制作することにした。

川越の明朝体、宇治の明朝体
漢字書体「金陵」のベースにしたのは、南京国子監本『南斉書』である。
わが国には、これとは別の『南斉書』がある。日本で覆刻されたので、これを和刻本『南斉書』と言っている。1703年(元禄16年)−1705年(宝永2年)に、川越藩柳澤家が南京国子監本『南斉書』を、返り点をつけたうえで覆刻したものだそうだ。汲古書院から出ている「和刻本正史シリーズ」は、これらの影印である。『和刻本正史 南齊書』(長澤規矩也 編、汲古書院、1984年)もこのシリーズに含まれている。
中国の原本と比べると日本の覆刻はかなり見劣りがする。もともと欣喜堂の「漢字書体二十四史」は中国の刊本のなかから選定したものである。「金陵」は南京国子監本『南斉書』をベースにしており、和刻本『南斉書』は参考にしていない。
漢字書体「嘉興」のベースにしたのは、楞厳寺版『嘉興蔵』である。
楞厳寺版『嘉興蔵』を、1678年(延宝6年)に覆刻したのが、鉄眼版『一切経』である。鉄眼は、日本に流布している大蔵経がないので、隠元を訪ねて楞厳寺版『嘉興蔵』をもらい受けたという。この鉄眼版『一切経』の版木は萬福寺・宝蔵院に納められており、国の重要文化財に指定されている。
川越の明朝体(和刻本『南斉書』)が、宇治の明朝体(鉄眼版『一切経』)ほどには知られていないのは、川越近隣の住民としては残念だ。私は川越の明朝体もけっして負けてはいないと思っている。いずれにせよ、どちらも中国の刊本の覆刻であることに違いはない。明朝体は中国で発展してきたものであり、中国から輸入されたものなのだ。

日本語としてどちらが使いやすいかを考えて、まず「金陵」を制作することにした。「きざはし」の原資料『長崎地名考』は近代明朝体との組み合わせだが、動的な結構は「金陵」に合うように思われた。

我が名は金陵
川越の明朝体、宇治の明朝体

できるだけ原資料を忠実に「再生」しようとして、独自の解釈はしないように心がけた。それでもなおかつ、そこに自分の筆跡のようなものが醸し出されているとしたら、それが真の個性というべきものなのかもしれない。


16世紀の書体をめぐって
16世紀の漢字書体としては中国・明代の『南斉書』(1588年−1589年、南京国子監)を参考にして「金陵」を制作したが、欧字書体としてはギャラモン活字が使用されている『ミラノ君主ヴィスコンティ家列伝』(1549年)を参考にして「K.E.Taurus」を制作した。

「K.E.Taurus」
『ミラノ君主ヴィスコンティ家列伝』(1549年)より

a0386342_20155098.jpg


現代の日本語書体は、和字書体・漢字書体・欧字書体が揃ってはじめて成立することになる。そこで、ギャラモン活字が使用されている『ミラノ君主ヴィスコンティ家列伝』(1549年)から抽出したキャラクターをベースに、日本語組版に調和するように「K.E.Taurus」として制作してみた。「金陵」との組み合わせでは、「きざはし」+「金陵」+「K.E.Taurus」の組み合わせがもっとも好ましいと思ったのだ。


日本語書体「きざはし金陵M」誕生
「きざはし金陵M」は、「さおとめ金陵」「あおい金陵」とともに、2004年7月に発売した。

a0386342_20155032.jpg


「きざはし金陵M」
本文に使われてこそ 『ドブネズミのバラード』 より
by imadadesign | 2016-03-27 16:12 | 書体雑記帳[日本語書体] | Comments(0)

従属から調和へ

「調和体」とは漢字とかなを調和よく書いた書をいう。書道は基本的に、「漢字」「かな(和字)」「調和体」というジャンルで構成されている。調和体という名称は、尾上柴舟(1876—1957)によって唱えられた。これは「粘葉本和漢朗詠集」の書を基としたものである。すなわち、和漢朗詠集の漢詩の書体と和歌の書体を組みあわせて、別の漢字かな交じり文を書くという試みである。

a0386342_20151766.jpg


a0386342_20151721.jpg


 太平洋戦争後、調和体への関心が高まり、それぞれの立場において制作されることになった調和体は、それぞれの会派によって呼び名が異なっている。それぞれの思想性や表現法に違いがあるのかもしれない。私には何が何だかわからない。

日展(日本美術展覧会):「調和体」
官展の流れを汲む総合美術団体、公益社団法人日展が主催している。尾上柴舟らの働きかけで、1948年から第五科「書」が加わり、現在では、漢字、かな、調和体、篆刻の4部門が実施されている。「調和体」部門は1955年に加えられた。
読売書法会:「調和体」
読売書法会は1984年に読売新聞社が創立した。部門は漢字、かな、調和体、篆刻の4つに分かれている。漢字かな交じり書の「調和体」部門は1995年に加えられている。
毎日書道会:「近代詩文書」
1948年の「全日本書道展」、1949年の「日本総合書芸展」を経て、1951年から「毎日書道展」となった。毎日新聞社主催。漢字、かな、近代詩文書、篆刻など、合計9つの部門別になっている。「近代詩文書」は金子鴎亭(1906−2001)が提唱し、1954年に加えられた。
産経国際書会:「現代書」(近代詩文書)
産経新聞社と産経国際書会が主催。1984年に第1回が開催された。漢字、かな、現代書、臨書、篆刻・刻字の部門があり、現代書部門のなかに「近代詩文書」が含まれているようだ。
日本書道美術院:「新書芸」
日本書道美術院は1947年設立。漢字、かな、新書芸、篆刻の4部門があるようだ。「新書芸」という名称は、飯島春敬(1906−1996)の提唱によるものである。
日本書道教育学会:「新和様」
日本書道教育学会は1950年設立。石橋犀水(1896−1993)が「新和様」を提唱。漢字かな交じり書の作品化をめざしている。

 現在では「漢字かな交じり書」が、現代の国語表記によって書かれた文面をそのまま書作品として書かれたものの総称として使われている。平成元年版「学習指導要領」によって、「漢字の書」、「仮名の書」、「漢字仮名交じりの書」とされている。
 私は「調和体」ということばが気に入っている。「和字書体」「漢字書体」「欧字書体」に加えて、「和漢欧調和体」としたいところだが、一般的ではない。わかりづらいので、「日本語書体」とか「日本語総合書体」とか言っているのである。
 せめて「従属」ではなく、「調和」を用いたいと思う。
by imadadesign | 2014-03-05 08:56 | 書体雑記帳[日本語書体] | Comments(0)

組み合わせの妙

日本語書体八策

日本と中国、欧米の古い書物などから復刻した和字書体、漢字書体、欧字書体が、三位一体となって奏でるよき調和となるように、それらをあらかじめ組み合わせて、日本語の組版を可能にしたのが「日本語書体八景」である。

a0386342_20151015.jpg

a0386342_20151023.jpg

( 暫定版 2015年4月22日更新)

「日本語書体八策」の、和字書体・漢字書体・欧字書体の組み合わせは、どのような考えできめているのかについて記しておきたい。

和字書体分類私案 『富嶽三十六景』に因んで
漢字書体分類私案 『二十四史』に因んで
欧字書体分類私案 「黄道十二宮」に因んで


●「さきがけ」+「龍爪」+「K.E.Aries」
●「もとい」+「龍爪」+「K.E.Aries」
●「うえまつ」+「龍爪」+「K.E.Aries」(※「かもめ」)

「めばえ・ひのもと、宋朝体、ヴェネチアン・ローマン」の組み合わせを基本としている。そもそも江戸時代の木版印刷字様を取り上げようと思ったのは、宋朝体との組み合わせを前提としたものであり、その中でも「さきがけ」(和字書体三十六景)の粗さが、四川刊本字様の「龍爪」と合うように思ったのだ。「さきがけ」のほかに、おなじ「めばえ・ひのもと」カテゴリーに属する「もとい」と「うえまつ」組み合わせも想定している。
商品化にあたっては、「いぶき・ひのもと」に属する「かもめ」との組み合わせを考えた。いずれも「和字書体三十六景」に含まれている。近代明朝体と組み合わされていた「かもめ」だが、その力強さは「龍爪」となじむのではないかと思ったのである。

●「ひふみ」+「陳起」+「K.E.Aries」
●「あおい」+「陳起」+「K.E.Aries」(※「もとおり」)
●「にしき」+「陳起」+「K.E.Aries」

「さきがけ」+「龍爪」+「K.E.Aries」の場合と同じく、「めばえ・ひのもと、宋朝体、ヴェネチアン・ローマン」の組み合わせを基本としている。「和字書体三十六景」の「さきがけ」や「もとい」を四川刊本の「龍爪」と組み合わせているので、あらたに「和字書体十二勝」として「ひふみ」を制作している。漢字書体は臨安書棚本字様の「陳起」、欧字書体は「K.E.Aries」を流用することにしている。「ひふみ」のほかに、おなじ「めばえ・ひのもと」カテゴリーに属する「和字書体三十六景」の「あおい」と「和字書体十二勝」の「にしき」との組み合わせを考えている。
また「もとい」の別バージョン「もとおり」や、「さかえ・ひのもと」の「みなみ」の字面を小さくした「こみなみ」も「陳起」となじむだろう。

●「ばてれん」+「志安」+「K.E.Libra」
●「すずのや」+「志安」+「K.E.Libra」(※「げんろく」)
●「いけはら」+「志安」+「K.E.Libra」(※「ひさなが」)

「やまと、元朝体、イタリック」の組み合わせを基本としている。和字書体は、元朝体と相性がいいと思われる「ばてれん」を選んだ。元朝体は「志安」だけしか試作していない。欧字書体はイタリックの「K.E.Libra」とした。「ひふみ」+「陳起」+「K.E.Aries」との兼ね合いを考えて、ここはどうしてもイタリックでなければならない。
商品化にあたっては、「ばてれん」のほかに、おなじ「やまと」カテゴリーから「げんろく」と、明治時代の活字書体の「ひさなが」との組み合わせを考えた。いずれも「和字書体三十六景」に含まれている。写本ベースの和字書体も「志安」となじむだろう。

●「かもめ」+「金陵」+「K.E.Taurus」(※「あおい」)
●「きざはし」+「金陵」+「K.E.Taurus」
●「さおとめ」+「金陵」+「K.E.Taurus」

「いぶき・ひのもと、明朝体、オールド・ローマン」の組み合わせを基本としている。和字書体は、明治時代に制作された書体の中から、築地活版製造所五号活字の「きざはし」を選んだ。原資料は近代明朝体との組み合わせだが、動的な結構は「金陵」に合うように思われた。したがって「きざはし」は最初から字面を小さく設計してある。「きざはし」のほかに、おなじ「いぶき・ひのもと」カテゴリーに属する「さおとめ」と「かもめ」との組み合わせも考えた。いずれも「和字書体三十六景」に含まれている。
「めばえ・ひのもと」の「あおい」は、もともと明朝体風の漢字書体と組み合わされていた。「さおとめ」は清朝体風の漢字書体と組み合わされていたが、明朝体とも相性がいいと思われた。ほかに「はやと」との組み合わせも、実際によく見かけている。「いぶき・ひのもと」カテゴリーに属する和字書体は、近代明朝体と組み合わせると少し小さめになる。

●「ほくと」+「武英」+「K.E.Cancer」
●「たおやめ」+「武英」+「K.E.Cancer」
●「あずま」+「武英」+「K.E.Cancer」

「さかえ・ひのもと、過渡期明朝体、トランジショナル・ローマン」の組み合わせを基本としている。「さかえ・ひのもと」カテゴリーに属する「ほくと」もまた近代明朝体と組み合わされていたのだが、「武英」と組み合わせても違和感がない。「ほくと」(和字書体三十六景)のほかに、おなじ「さかえ・ひのもと」カテゴリーに属するとしている「たおやめ」(和字書体三十六景)、「あずま」(和字書体十二勝)との組み合わせも考えた。

●「さくらぎ」+「蛍雪」+「K.E.Virgo」
●「まなぶ」+「蛍雪」+「K.E.Virgo」(※「はなぶさ」)
●「しおり」+「蛍雪」+「K.E.Virgo」(※「まどか」)

「かなめ・ひのもと、清朝体、オールド・ローマン」の組み合わせを基本としている。清朝体は、清代の木版印刷字様なので、和字書体は明治期以降の教科書に用いられた楷書体と組み合わされた「かなめ・ひのもと」カテゴリーと合っていると思う。「さくらぎ」のほかに、ほかに「まなぶ」や「しおり」と組み合わせる。
商品化にあたっては、「いぶき・ひのもと」カテゴリーに属する「はなぶさ」、「まどか」との組み合わせを考えた。いずれも「和字書体三十六景」に含まれている。「まどか」はもともと楷書活字と組み合わされていた。「はなぶさ」は近代明朝体と組み合わされていたが、清朝体との相性がいいと思われる。
※欧字書体は「K.E.Virgo」が基本だが、商品化にあたっては「K.E.Taurus」と組み合わせている。

●「くれたけ」+「銘石」+「K.E.Sagittarius」
●「くらもち」+「銘石」+「K.E.Sagittarius」
●「はるか」+「銘石」+「K.E.Sagittarius」(※「くろふね」)

「くまそ、銘石体、サン・セリフ」の組み合わせを基本としている。「くれたけ」のほかに、「和字書体三十六景」の「くらもち」、「和字書体十二勝」の「はるか」との組み合わせも考えた。「くらもち」は、「くまそ」カテゴリー(ゴシック体)であるが、もともと2分の1活字として制作されていた。「銘石」との組み合わせを考えて、少し正方形に近づけて、字面も合わせて設計している。
商品化にあたっては、「和字書体三十六景」に含まれている「くろふね」との組み合わせを考えた。

●「ことのは」+「方広」+「K.E.Pisces」
●「みなもと」+「方広」+「K.E.Pisces」
●「たまゆら」+「方広」+「K.E.Pisces」

「えみし、経典体、スラブ・セリフ」の組み合わせを基本としている。辞書の見出しとして使われていた「ことのは」は「えみし」カテゴリー(アンチック体)なのだが、これに組み合わせる漢字書体をさがしていて、仏教経典に使われていた「方広」を見つけ出したのである。
「ことのは」(和字書体三十六景)のほかに、「みなもと」、「たまゆら」(どちらも和字書体十二勝)と組み合わせた。

※「日本語書体八策」には含まれないが、組み合わせの候補として次の4パターンも考えている。
●「はやと」/「はなぶさ」/「まどか」+「鳳翔」+「K.E.Gemini」
●「ひばり」/「めじろ」/「うぐいす」+「上巳」+「K.E.Leo」
●「ふじやま」/「ますらお」/「めぐろ」+「端午」+「K.E.Capricornus」/「K.E.Aquarius」
●「たかさご」/「さよひめ」/「あけぼの」+「臨泉」+「K.E.Scorpio」


日本語書体三傑

和字書体で「おゝ◯◯」と名付けた書体がある。「おゝはなぶさ」ファミリー、「おゝくれたけ」ファミリー、「おゝことのは」ファミリーで、それぞれ「はなぶさ」「くれたけ」「ことのは」を大振りにしてファミリー化したものだ。「日本語書体八策」につづく企画として、「日本語書体三傑」という名称を思いついた。

●「おゝはなぶさ」+「美華」+「K.E.Vergo」
「ゆたか・ひのもと、近代明朝体、モダン・ローマン」の組み合わせを基本としているのだが、近代明朝体には、明治時代以降の「いぶき・ひのもと」も「さかえ・ひのもと」も違和感なく組み合わせられる。そこで「いぶき・ひのもと」カテゴリーだが字面を近代明朝体に合わせた「おゝはなぶさ」(和字書体三十六景)をメインとした。

●「おゝくれたけ」+「伯林」+「K.E.Sagittarius」
「くまそ、呉竹体、サン・セリフ」の組み合わせを基本としている。近代明朝体「美華」に対応する呉竹体(ゴシック体)として「伯林」を開発している。和字書体は字面を呉竹体に合わせた「おゝくれたけ」(和字書体三十六景)を組み合わせることを基準とした。

●「おゝことのは」+「倫敦」+「K.E.Pisces」

「えみし、安智体、スラブ・セリフ」の組み合わせを基本としている。近代明朝体「美華」に対応する安智体(アンチック体)として「倫敦」を開発している。和字書体は字面を安智体に合わせた「おゝことのは」(和字書体三十六景)を組み合わせることを基準とした。
by imadadesign | 2013-12-10 19:36 | 書体雑記帳[日本語書体] | Comments(0)