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小学生のとき、農繁期休暇があった。田植えの頃と、稲刈りの頃と、それぞれ10日ぐらいだったと思う。どこの家でも小学生だってかり出された。一家総出なのはもちろん、ちかくの親類とも共同で、ときにはアルバイトのおばさんにも来てもらっていたこともあった。
 昼食は田んぼのあぜ道ですませていた。もちろん自家の田圃でできた米をかまどで炊いて作った「おにぎり」と、自家の畑で育てた大根を漬けた「たくあん」、それだけだった。小学生にとってはピクニック気分だったが、おとなは少しの時間も惜しんで、休む間もなく農作業にかかった。
 ほとんど自給自足にちかい生活で、鶏も飼っていたし、豆腐も自家製だった。魚(たまに肉も)は行商の魚屋さんから買っていた。あとはオハヨー牛乳。そのような家庭環境だったから、おいしいとかおいしくないとかいうことなど考えもしなかった。ただ、お腹いっぱいになればよかった。
 『おかあさんの思い出ごはん』(フジテレビ商品研究所編、亜紀書房、2010年11月19日)は、第一線で活躍している著名な料理人がつづった母親の料理についての思い出話と、そのレシピ集である。私でも知っている和食の高橋栄一、中華の陳健一、洋食の落合務、料理研究家の枝元なほみをはじめ30人の名前がならぶ。

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 この本の本文は、近代明朝体ではない。漢字のゴシック体と和字書体「ますらおM」との混植で組まれている。どのエピソードにも懐かしさと暖かさがにじみ出てくるようだった。「ますらおM」が、とてもしっくりくる。この書体名とはちがって、愛情あふれる母性を感じる書体なのかもしれない。
 和字書体を少し大きめにしているだろうか。私には漢字書体よりも大きく見える。書籍というよりもムックといった感じの本だし、活字サイズも大きめなので、読ませるということとともに見せるという要素も必要なのだろう。字間がすこし詰まり気味に感じるが、行間をひろくとっているので読みにくいということはない。
 わたしにとっての「おかあさんの思い出ごはん」は、あぜ道で食べた「おにぎり」だった。この本での「ますらおM」に、わたしはおにぎりを重ね合わせた。もちろん私の母の手料理もいろいろあったのだろうが、料理人の母親とはとても比べられない。いちばん印象に残っているのは、少し大きめの、塩味だけで、海苔の巻かれていない、何も入っていない「おにぎり」だった。
 今ではコンビニエンス・ストアで多様な味のおにぎりが売られている。それはそれで便利なのだけれど、わたしには母親のおにぎりに勝るものはないと思う。
by imadadesign | 2014-02-12 08:57 | 書体探索隊[書籍・和字] | Comments(0)

日本語では、「漢字書体は同じでも和字書体を変えるだけでイメージが変わる」とよくいわれる。事実、同じ漢字書体に対して複数の和字書体を用意している例がいくつもある。それは確かにそうなのだけれども、その逆に「和字書体は同じでも漢字書体を変えるとイメージが変わる」ともいえるのである。
 ここにひとつの例がある。『ジハード1 猛き十字のアッカ』(定金伸治著、星海社文庫、2014年1月9日)の冒頭6ページは、漢字書体「龍爪M」と和字書体「かもめM」との組み合わせ(実際には、「かもめ龍爪M」だろう)なのだが、『アンソロジー おやつ』(PARCO出版、2014年2月10日)では、200ページ以上ある本文すべてが、近代明朝体(他社書体は間違えるといけないので一般名称にしておく)「かもめM」の組み合わせなのである。

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 和字書体はどちらも「かもめM」であるが、漢字書体は、『ジハード1 猛き十字のアッカ』が「龍爪M」、『アンソロジー おやつ』が近代明朝体である。見比べてみると、あきらかにイメージが違っていると思う。前者は攻撃的に見えるが、後者は友好的である。「かもめ」は「かもめ」で同じ書体なのに、漢字書体の影響が如実に現れているということだろう。『ジハード1 猛き十字のアッカ』で「かもめ龍爪M」が使われ、『アンソロジー おやつ』で和字書体「かもめM」が使われた理由もなんとなく透けて見えてくる。
 書体の印象は、漢字書体の違いだけでなく、組まれた文章の内容にも影響を受けるようだ。「かもめ」は「かもめ」だが、文章の性格はまったく異なる。まさか、おやつの本に「かもめM」が使われるとは思っても見なかったが、それはそれで合っているように感じてくるから不思議だ。
 実際のところ、漢字書体は無難な近代明朝体にしておいただけかもしれない。ともかく、ここで「かもめ」が選ばれたことによって、「金陵」や「蛍雪」、あるいは他社の多様な漢字書体と組み合わせたらどうだろうか、たとえば「おゝかもめ」の需要はあるのか……など、いろいろな可能性が開けてくるのである。
 『アンソロジー おやつ』は、42名の著名人によって綴られた「おやつ」に関する随筆集である。そこには、村上春樹の「ドーナッツ」、武田百合子の「キャラメル」、内館牧子の「チョコレート」などなど、ちょっと見ただけでおいしそうなタイトルが並んでいる。
 わたしの、この本での「かもめM」のイメージに重なるおやつはなんだろうかと考えてみた。そういえば友達の家が駄菓子屋をやっていたなあなどと思い出していた。ふとポンポン菓子のことを思い出していた。そうだ、これだ!
 ときどき、ちかくの広場にポンポン菓子をつくる機械をリヤカーに積んで行商のおじさんが巡回してきていた。こどもたちは自宅から米を持参して集まり、目の前でポンポン菓子に加工してもらうのである。できあがるときに、大きな破裂音がする。同時に膨張してできたポンポン菓子が、取り付けられた籠のなかに飛び出してくるのだ。それが楽しみだった。
by imadadesign | 2014-02-05 09:57 | 書体探索隊[書籍・和字] | Comments(0)

こどものころ、私の家ではよく水飴を買っていた。おやつのかわりである。たしか一斗缶に入れられていて、それを割り箸で巻き付けるようにすくいとるのである。粘り気があって、すごく甘かった。そんなことを思い出した書体がある。
 2013年11月16日から2014年1月19日まで、さいたま市のうらわ美術館で「アートが絵本と出会うとき」と題された企画展が開催された。そのフライヤーに和字書体「はやと」が使われていることを知人のツイートで知り、この企画展を観に行くことにした。

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 「はやと」が使われていたのはフライヤーだけではなかった。この企画展の図録の本文が、漢字書体の近代明朝体と「はやと」との混植で組まれていたのだ。近代明朝体に合わせるために、すこしサイズを大きくしているようだが、まぎれもなく「はやと」なのである。

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 こども向けの絵本ということで、水飴を思い出した。「はやと」は水飴のようだと思った。粘り気があってどろりとしている書体である。しつこいぐらいの脈絡がそう感じさせる。そうでありながら、こどもが大好きな味とまではいえないかもしれないが、文字列から甘さがほのかに漂ってくるようなのだ。
 だがしかし、水飴は甘いだけのこどものおやつだ。「はやと」は、こども用の書体ではないと思う。展示された作品から影響されただけかもしれないが、「はやと」にはなにか絵画的な美しさがあるように感じる。水飴の甘い誘惑から脱して、大人の嗜好に向かうかのように。
 展示された絵画や絵本は、多くは大正時代につくられたものだ。そこにあらわれた絵はまさしく当時の先端的な美術なのである。私が生まれる前だからリアルタイムで見たことはないが、これらの絵本をこどもの私が見るとしたら、大人の世界を垣間見るように、こっそりと隠れて見たかもしれない。
 「はやと」は、瓦礫の中から拾いだし丹念に磨き上げた書体である。原資料の複数あるキャラクターの中から、「き」や「さ」にあわせて、わりあい粘り気のあるキャラクターを選んでいったのだった。そのときには、水飴のことも、大正時代の絵本のことなど少しも考えてはいなかった。この企画展の図録から呼び起こされた、ほんわかとした印象である。
 なぜ「はやと」が選ばれたのか、本当のところはわからない。わたしの個人的な印象で、絵本とアート、水飴、そして和字書体「はやと」をめぐる連想ゲーム、妄想がわきあがってきたということだ。書体は使われる場面を得て、読者によって新しいイメージが付加されていくのなのだろう。
by imadadesign | 2014-02-01 09:27 | 書体探索隊[書籍・和字] | Comments(0)

正木香子著『本を読む人のための書体入門』(星海社新書、2013年12月25日)で、和字書体「たおやめ」がとりあげられ、つぎのように書かれている。

 中でも印象的だったのは雑誌「クウネル」(マガジンハウス)で川上弘美が連載していた短編小説です。川上弘美さんと「クウネル」という組み合わせは、ちょっとはまりすぎというか、なんだかいかにもという感じがして、最初はちょっと身構えたのですが、本文書体にこの「たおやめ」がつかわれていることで、そのページだけふしぎな異世界が生まれていました。見覚えのあるいつもの世界が、屈折率のちがう別のものに見えるような……。

雑誌『クウネル』で、川上弘美の短編小説が「たおやめM」で組まれていることも、欣喜堂書体がいくつか使われていることも聞いてはいたけれど、実際に読んでみたことはなかった。このように書いてもらったので、それじゃあ確かめてみようということにした。

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 いま店頭に並んでいる『クウネル』(2014年3月号)をさっそく購入し、ページをめくり始めた。この雑誌は、記事ごとに使用している書体を変えているようだ。その記事に合わせて、書体を選択しているのだろうか。そんなことを思いながらページをめくっていくと、川上弘美の短編小説「ふたりでお茶を」に出会った。なるほど、確かに「異世界を感じる……」なのだ。
 女性向けの小説のためだけに「たおやめ」が設計されたのではない。けれど、しなやかで優美な女性を連想して、この書体を「たおやめ」と名付けたということを思えば、このような小説にはうってつけなのだろう。「たおやめ」という書体の魅力は、こどもにはわからないかもしれない。
 川上弘美は、『蛇を踏む』で第115回芥川賞(1996年)を受賞している。『クウネル』では、第1号(2002年4月1日)から12年間、ずっと短編小説を連載しているそうだ。すでに3冊が書籍化されているが、残念ながら本文書体に「たおやめ」は使われていない。

 もうひとつ気になるページがあった。最終ページの吉田篤弘のエッセイ「古色蒼然」が、和字書体「ますらおM」で組まれていることだ。この最終ページのエッセイ、執筆者は毎号変わっているが、ずっと「ますらおM」が使われ続けているようだ。
「ますらお」は、「たおやめ」と対になるようにと考えて名付けた。おおらかで勇猛な男性を意味することばだが、どちらかというと好々爺のようなほんわかとしたイメージが感じられる。少なくともこの「古色蒼然」というエッセイにはぴったりなのかもしれない。
 雑誌ではゴシック体で本文が組まれることは少なくない。「ますらお」がほかのゴシック体にくらべて圧倒的な存在感をもっているということはないだろう。それでも、このエッセイでこの雑誌を締めていて、それが「ますらお」で組まれていることで、しずかな異世界があるように感じた。
 吉田篤弘は、小説を執筆するかたわら、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作とデザインの活動を行っている。ちょうど今、世田谷文学館において「星を賣る店 クラフト・エヴィング商會のおかしな展覧会」が開催されている(3月30日まで)。
by imadadesign | 2014-01-27 09:19 | 書体探索隊[書籍・和字] | Comments(0)