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書体の名称は、原資料にちなんだものにしています。「金陵」は地名、「蛍雪」は故事からです。「龍爪」と「銘石」は竜爪体、銘石体というスタイルの名前によっています。


「金陵」
金を埋めた陵(おか)——「金陵」という地名のいわれである。

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陳舜臣『太平天国』(講談社文庫、1988年)より。


「蛍雪」
苦心して勉強することを、「蛍の光窓の雪」、あるいは「蛍雪の功」というようになります。
(「晋書」車胤伝・孫康伝の故事から。中国では「囊螢映雪」という。)

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井波律子『故事成句でたどる楽しい中国史』(岩波ジュニア新書、2004年)より。


「龍爪」
字様は竜爪体といわれる力強い筆体である。

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『静嘉堂文庫の古典籍 第一回 中国宋・元時代の版本』(静嘉堂文庫、1994年)より


「銘石」
楷書的隷書で、当時のもっとも典型的な銘石体。

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『季刊墨スペシャル 第九号 図説中国書道史』(芸術新聞社、1991年)より



「陳起」と「志安」は人名です。陳起はフルネームですが、志安はファーストネームです。ふたりとも出版社の代表者です。筆耕をしたわけでも彫刻をしたわけでもないと思われます。筆耕・彫刻の職人の名前にしたかったのですが、名前が残されていません。筆耕・彫刻の職人を代表するという気持ちを込めて、「陳起」と「志安」という名称にしています。


陳起
臨安(杭州)の陳起の「書籍舗」もたいへん有名であった。

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『中国の書物と印刷』(張紹?著、高津孝訳、日本エディタースクール出版部、1999年)より


志安
建陽崇化の余志安勤有書堂では(中略)等、二十種近くが出版されている。

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『図説中国印刷史』(米山寅太郎著、汲古書院、2005年)より


「武英」
北京の紫禁城内の南西隅に建てられている「武英殿」からとりました。清朝において皇帝の勅命によって武英殿修書処で刊刻されたものを武英殿刊本つまり殿版といいます。殿版の代表的なものとしては、康煕帝のときに銅活字を用いて印刷した『古今図書集成』と、乾隆帝のときに木活字によって印刷された『武英殿聚珍版叢書』があります。前者を原資料にして制作した書体を「武英」、後者を原資料として制作した書体を「聚珍」と名付けています。
写真の樹木に隠れている建物が武英殿です。現在は故宮博物院・書画館として一般公開されていますが、私が訪れたときは展示替えとのことで、この案内板のところまでしか入れませんでした。

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「方広」
原資料としている中国・北宋の時代に竜興寺で刊刻された『大方広仏華厳経』(台湾・国立故宮博物院所蔵)の経名からとりました。写真はその複製(手作り)です。
まったく関係ないのですが、京都にある方広寺は『大方広仏華厳経』の経名から寺号にしたといわれています。方広寺といえば、豊臣秀頼が方広寺大仏を再建した際、鐘の銘文のなかの「国家安康」の字句が徳川家康の名を分割しているとイチャモンを付け、大坂冬の陣を引き起こすことになったことで知られています。

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by imadadesign | 2017-11-24 19:48 | 書体雑記帳[漢字書体] | Comments(0)

中国では、宋体(明朝体)、黒体(ゴシック体)、仿宋(宋朝体)、楷体(清朝体)が4大印刷書体と言われている。20世紀に制作された書体として、節句の名称から採った「上巳」「端午」「七夕」「重陽」という活字書体として復刻を試みた。
似て非なるふたつの書体ということで、「上巳」と「端午」については19世紀の活字から復刻した「美華」と「伯林」とのスタイルの違いを比較した。「七夕」については宋代の木版印刷の字様から復刻した「陳起」と比較してみた。
同じことが「重陽」にも言えるのかどうか見てみたいと思った。比較の対象としたのは、18世紀の武英殿刊本を代表する『御製文集』(1711年、武英殿)と、20世紀の漢文正楷字模活字を用いた『高級小学校論語』(1935年、満州国文教部)である。
前者が琴欧洲スタイル、後者が琴奨菊スタイルといえるのかどうか。木版印刷から活字版印刷へ、書写から活字書体の発展が背景にあるような気がしてならない。それが書体の時代性と言えるのかどうか。

●『御製文集』(1711年、武英殿)

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●『高級小学校論語』(1935年、満州国文教部)

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そんなことを意識しながら復刻しているのが、琴欧洲スタイルの清朝体「熱河」と、琴奨菊スタイルの清朝体「重陽」である。

●琴欧洲スタイルの清朝体「熱河」

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●琴奨菊スタイルの清朝体「重陽」

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by imadadesign | 2016-03-18 08:54 | 書体雑記帳[漢字書体] | Comments(0)

琴欧洲スタイルから琴奨菊スタイルへの変遷について、近代明朝体、呉竹(ゴシック)体でこじつけてきたが、今回は宋朝体で考えてみよう。
まずは『南宋羣賢小集』(陳宅書籍鋪、1208−1264)。整然として硬質な字様である。初唐の欧陽詢(557−641)書風を引き継いでおり、琴欧洲スタイルのイメージである。
一方、『唐確慎公集』(中華書局、1921)の宋朝体は琴奨菊スタイルだ。聚珍倣宋版陳起の陳宅書籍鋪による「臨安書棚本」を源流としているが、当時すでに普及していた近代明朝体活字の影響を受けて、より安定感を増しているようだ。

●『南宋羣賢小集』(陳宅書籍鋪、1208−1264)

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●『唐確慎公集』(中華書局、1921)

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そんなことを意識しながら復刻しているのが、琴欧洲スタイルの宋朝体「陳起」と、琴奨菊スタイルの宋朝体「七夕」である。

●琴欧洲スタイルの宋朝体「陳起」

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●琴奨菊スタイルの宋朝体「七夕」

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by imadadesign | 2016-03-17 09:23 | 書体雑記帳[漢字書体] | Comments(0)

呉竹(ゴシック)体ではどうか。琴欧洲・琴奨菊という佐渡ケ嶽部屋の元大関、現大関にこじつけて、こんどは呉竹(ゴシック)体を比較してみよう。
 まずは『座右之友』(東京築地活版製造所、1895年)所載の「五號ゴチック形文字」。荒削りながら腰高だ。琴欧洲スタイルといえるだろう。「五號アンチック形文字」のほうも同じスタイルだ。
 一方、『瞿秋白文集』(瞿秋白著、北京・人民文学出版社、1953年)の見出しに用いられている呉竹体は琴奨菊スタイルだ。腰を低くしてどっしりとした安定感がある。

●『座右之友』(東京築地活版製造所、1895年)所載の「五號ゴチック形文字」と「五號アンチック形文字」

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●『瞿秋白文集』(瞿秋白著、北京・人民文学出版社、1953年)の見出し呉竹(ゴシック)体(抜粋)

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そんなことを意識しながら復刻しているのが、琴欧洲スタイルの呉竹(ゴシック)体「美華」と、琴奨菊スタイルの呉竹体「端午」である。

●琴欧洲スタイルの呉竹(ゴシック)体「伯林」

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●琴奨菊スタイルの呉竹(ゴシック)体「端午」

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by imadadesign | 2016-03-05 09:02 | 書体雑記帳[漢字書体] | Comments(0)

琴欧洲と琴奨菊。佐渡ケ嶽部屋の元大関と現大関にこじつけて、ふたつの近代明朝体について考えてみたい。近代明朝体を関取に例えるのがいいかどうかということはあるが、ほかに思いつかなかったので……。
 同じ近代明朝体でも、『旧約全書』(上海・美華書館、1865年)は琴欧洲スタイルだと思った。足長で締まったイメージがするような気がする。一方、『中国古音学』(張世禄著、上海・商務印書館、1930年)は琴奨菊スタイルだ。腰を低くしてどっしりとした安定感があるような気がする。比べてみるとかなり違っている。

●『旧約全書』(上海・美華書館、1865年)

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●『中国古音学』(張世禄著、上海・商務印書館、1930年)

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そんなことを意識しながら復刻しているのが、琴欧洲スタイルの近代明朝体「美華」と、琴奨菊スタイルの近代明朝体「上巳」である。


●琴欧洲スタイルの近代明朝体「美華」
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●琴奨菊スタイルの近代明朝体「上巳」
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by imadadesign | 2016-03-04 19:09 | 書体雑記帳[漢字書体] | Comments(0)

「陳起」が一番

元朝体「志安」とともに、いま取りくんでいる宋朝体「陳起」について記しておきたい。
 「陳起」のベースにしているのは、『南宋羣賢小集』(陳宅書籍鋪、1208-64年)の刊本字様である。陳宅書籍鋪は宋代の浙江地方の刊本字様すなわち宋朝体を代表するものとみている。書体名は、いうまでもなく、陳宅書籍鋪の陳起から採った。


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●『南宋羣賢小集』(陳宅書籍鋪、1208-64年) 

南宋の都、臨安(現在の杭州)には多くの書坊が建ち並んでいた。宋朝の国力の衰えた時期にも、臨安の街ではまだ活発な商業活動が行われていた。そのなかでも、陳起の陳宅書籍鋪が刊行した書物は注目をあびた。
 陳起はとくに詩の選集を多数刊行したことで知られ、唐代から宋代にかけての著名な詩人はほとんど漏らしていない。また、陳起は才能に恵まれながらも無名だった民間の詩人たちと親交を結び、その作品が世に広まり伝わることに力を尽した。『南宋羣賢小集』の羣賢とは大勢の知識人のことだ。

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by imadadesign | 2015-10-06 08:35 | 書体雑記帳[漢字書体] | Comments(0)

『座右之友』(東京築地活版製造所、1895年)には「五號ゴチック形文字」とともに「五號アンチック形文字」が掲載されている。他にいい参考資料が存在せず、サンプル数も少ないが、漢字書体の古いゴシック体、アンチック体がラインナップにほしいと思い、試作しておくことにした。
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とりわけ漢字書体のアンチック体を再生したいと思った。ゴシック体の漢字書体はしだいに普及していったのに対して、アンチック体の漢字書体はまったく見られないからである。和字書体のみの書体とみなされ、ゴシック体の漢字書体との混植によってのみ生き残ることとなり、あげくは太明朝体と組み合わされている和字書体と混同されることもあるのだ。
試作にあたっては、『BOOK OF SPECIMENS』(平野活版製造所、1877年)に掲載されている欧字書体としてのアンチック(Antique)とゴシック(Gothic)を意識した。ここにあるアンチック(Antique)とは、スラブセリフと呼ばれるカテゴリーに属する書体のようである。漢字書体のゴシック体、アンチック体と名称が共通しており、浅からぬ関係を感じたのである。
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漢字書体のゴシック体、アンチック体は、もともとは隷書体や江戸時代の看板文字などを参考にしたようにも思われるが、より現代的に解釈することにした。中国においてゴシック体は「黒体」という。アンチック体は「宋黒」に相当するものではないかと考えている。


伯林 DemiBold 書体見本(試作段階) 呉竹体(ゴシック体)
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口や囗などはシンプルにした。


倫敦 Black 書体見本(試作段階) 安竹体(アンチック体)
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横画は水平に、豎画は垂直にすることを基本にした。


なお、ゴシック体、アンチック体とは西洋からの外来語であり、漢字書体には不似合いに思われた。そこで工夫して、分類名としては、それぞれ「呉竹体」、「安竹体」としている。
by imadadesign | 2015-05-29 08:03 | 書体雑記帳[漢字書体] | Comments(0)

やっぱり永字八法

「永字八法」は書写・書道の入門書には必ずといっていいほど解説されていますが、教育現場では永字で筆法を教えるということは少ないようです。しかしながら「永字八法」は書字の規範であることは間違いありません。
活字書体においても、筆法の理解を深めるためには「永字八法」が有効だと考えています。漢字の要素としてみるよりも、結構を含めて統一的に筆法を習得することができると思うからです。
近代明朝体では説明しにくいので、宋朝体の「陳起」を例にして、もう一度「永字八法」を考えてみたいと思います。
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その「永字八法」ですが、現在の常用漢字の字体(上)では、横画と縦画が合体していてわかりにくくなっています。そこで、横画が独立している別字(下)で説明していきたいと思います。

横画の筆法
【勒】(ロク) 馬の頭に掛けて馬を御する革紐のことで、革紐を引き締めるように書く。
【策】(サク) 鞭のことで、鞭で叩くように書く。
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横画の筆法としては勒と策とが重複していますが、勒は三折法、策は二折法であると説明されています。勒は三折法横画ですので、「起筆?→送筆?→収筆?」の集合体です。収筆のある横画ということができます。
二折法である策は、「起筆?→送筆?」までの、収筆が省略された横画です。土偏・金偏などの最終画の勒は、収筆が省略された横画すなわち策に変化します。

豎画の筆法
【弩】(ド) 石を遠くに放つ石弓のことで、左に反るように書く。
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弩は収筆部が趯と合体しているのでわかりづらいのですが三折法の豎画です。つまり「起筆?→送筆?→収筆?」の集合体になっています。
「永字八法」にはありませんが、収筆のない豎画、「起筆?→送筆?」までの二折法豎画を懸針(ケンシン)といいます。その中間法が垂露(スイロ)で、近代明朝体の豎画はだいたい垂露になっているようです。懸針は「陳起」にはみられないので、説明用につくってみました。

撇画の筆法
【掠】(リャク) かすめることで、女性の長い髪を梳くように、ゆったりと左に払う。
【啄】(タク) ついばむことで、キツツキが木を突つくように書く。
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掠と啄は同じ撇画の筆法で重複していますが、掠は三折法、啄は二折法であると説明されています。
掠は「起筆?→送筆?→収筆?」を意識して、三折法でゆったりと左に払います。カーブを描きながら、収筆まで太さを保っています。
啄は「起筆?→送筆?」の二折法なので収筆が省略されています。啄は掠の収筆を省略した筆法で、直線的にまっすぐにすばやく画きます。

捺画の筆法
【磔】(タク) 裂くことで、肉を引き裂いて金刀が骨まで達するように、力を入れてじっくりと右に払う。
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捺画の筆法にも三折法と二折法があります。磔は三折法、「永字八法」にはありませんが、二折法捺画として「瓜子(カシ)」という筆法があります。
磔は三折法捺画ですので、「起筆?→送筆?→収筆?」の集合体です。収筆のある捺画ということができます。
磔は三折法捺画なので、収筆部で一度力を溜めて、じっくりと右に引き抜きます。
収筆を省略したのが瓜子です。木や金が偏にくるとき、磔の筆法が瓜子の筆法に変わります。同じ捺画の筆法で、三折法と二折法の違いなのですが、近代明朝体ではまったく異なる形状になります。

側の筆法
【側】(ソク) 筆と筆先の側面を使ってえぐるように書く。
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側は三折法で画きます。短いながらも「起筆?→送筆?→収筆?」があるので、じつは難しい筆法です。「陳起」では収筆が尖って三角形のようになります。
「永字八法」には含まれませんが、側の収筆部を省略した二折法が亀頭(キトウ)です。「起筆?→送筆?」で収筆を省略してすぐに下方に抜きます。亠、宀、广などの第一画が亀頭です。近代明朝体では豎画のようになりますが、じつは側の仲間です。


趯の筆法
【趯】(テキ) 高く抜きんでるように躍り上がること。
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趯は二折法なので「起筆?→送筆?」までで収筆部はありません。筆を左に回してから跳ね上げます。「陳起」では、ほぼ45度に少し長めに跳ね上げています。

参考にした書物:
『漢字の基本─学び方と教え方─』(関岡松籟著、日本習字普及協会、1984年)
『書の技法指南』(墨8月臨時増刊、芸術新聞社、1994年)
『書を学ぶ─技法と実践』(石川九楊著、筑摩書房、1997年)

by imadadesign | 2015-05-27 19:53 | 書体雑記帳[漢字書体] | Comments(0)

楊州詩局のふたつの書体

清代の官刻本のうち「軟字」と称せられる字様を「清朝体」ということにする。(詳しくはこちら)
 その代表的なものは武英殿本で、略して殿本ともいう。武英殿本はゆったりとした字様で知られている。そのなかには皇帝自身による著作などがあり、刊行時には「御製」「欽定」などの文字が冠せられた。1711年に刊行された康煕帝の著作は『聖祖御製文集』と称せられた。
 ※『聖祖御製文集』の字様をデジタルタイプとして復刻しようとするのが「熱河」である。
 官刻本には、武英殿本のほかに地方官庁の刊行したものがある。地方官庁には曹寅が主管した揚州詩局があった。曹寅は清朝を代表する小説『紅楼夢』の作者・曹雪芹の祖父にあたる。揚州詩局の刊本こそ、まさに清代の刊本字様である。
 康煕年間に揚州詩局で刊行された『全唐詩』と、嘉慶年間に同じく揚州詩局で刊行された『全唐文』は、同じような制作システムをとったと考えられる。すなわち書写の担当者を選抜して、同じ書風で書けるように訓練するという手順をふんで刊刻されたものだろう。ところが刊刻された年代が大きく違うということから、その書体はすこし変化しているように感じられる。
 ※『全唐文』の字様をデジタルタイプとして復刻したのが「蛍雪」である。

『全唐詩』(揚州詩局、1707年)
康煕年間には、康煕帝の命により編纂された唐詩全集である『欽定全唐詩』があげられる。その字様は、『聖祖御製文集』のそれをさらに洗練したものであった。武英殿刊本をしのぐ品質とされている。
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『全唐文』(揚州詩局、1818年)
嘉慶年間にはいると、嘉慶帝の敕命により董誥らが編纂した『欽定全唐文』が刊行された。唐・五代散文の総集である。この『全唐文』の字様は、運筆が形式化されて活気がないと批評されたが、むしろ均一に統一された表情は、活字書体としての機能をもっている。収められた作家の数は3千人、作品数は2万篇にのぼる。皇帝から僧侶、諸外国人に至るまで、あらゆる階層のあらゆる作品を網羅している。
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『欽定全唐詩』と『欽定全唐文』とはともに脈絡を感じさせない素直で端正な起筆・収筆である。掠法についても両者ともに同じような速度で、側法は柿の種のような形状で統一されている。趯法はどちらもシャープにはねあげているが、どちらかといえば『欽定全唐詩』のほうがやや短めである。
『欽定全唐詩』と『欽定全唐文』とはさほど大きな違いはないように思えるが、前者は少し抑揚のある印象だが、後者は平板で均一な印象がある。大胆な言い方をすれば、前者は毛筆書写にちかく、後者は硬筆書写にちかい。
『欽定全唐詩』よりも『欽定全唐文』の方が抱懐をひろくとっている。前者が縦長の結構になっているのにたいし、後者は正方形にちかくなっている。『欽定全唐詩』の方がすこし伸びやかだ。『欽定全唐詩』から『欽定全唐文』への変化は、より均一化へと向かっていったようである。
by imadadesign | 2014-09-05 17:22 | 書体雑記帳[漢字書体] | Comments(0)

「漢字の歴史」展(1989年2月10日—2月21日)は、東京有楽町アートフォーラムで開催された。主催は大修館書店と朝日新聞社。写研が協賛していたこともあって、私もオープニング・パーティーに出席させていただいた。
 熹平石経、開成石経(拓本の写真)などとともに、四川刊本『周礼』(写真)が展示されていた。写真の展示だったので、さほど注目してはいなかった。そのときには、この書体を復刻するということまでは考えもしなかったが、なんとなく気になっていた。図録を買い求めて、ときどき眺めていた。

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あれから10年以上経ったころ、中国における碑刻書体、刊本書体、近代活字書体のなかから24書体を選んで、デジタルタイプとして再生しようと思い立った。そのなかに四川刊本『周礼』から再生した「成都」を入れた。もちろん「漢字の歴史」展の図録を資料として、試作したものである。


静嘉堂文庫美術館で開催された「静嘉堂文庫の古典籍 第5回 中国の版本—宋代から清代まで—」(2005年2月19日—3月21日)という展示があった。
 私が訪れた展示前期(2月19日—3月6日)には、南監本『南斉書』や『欽定古今図書集成』などが展示されていた。私は見逃してしまったが、展示後期には藩本『楽律全書』や毛氏汲古閣『殊玉詞』(『宋名家詞』のうち)などが展示されていたようだ。

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前期・後期を通じて展示されていたのが四川刊本『周礼』であった。「漢字の歴史」展から16年ぶりの再会であった。しかも今度は実物である。来場者が少ない時間帯だったので、ガラス越しではあるが、ずっと立ち止まってじっくりと見ることができた。
 実物を見て、あらためて四川刊本『周礼』の魅力が増してきた。とくに「竜の爪」といわれる収筆部の強さ。再会をきっかけとして、この書体を商品化しようと強く思った。当初「成都」と呼んでいたのを「竜爪(のちに龍爪)」と変更した。

2008年7月。日本語書体「さきがけ龍爪M」、「もとい龍爪M」、「かもめ龍爪M」として発売した。最初の出会いから20年ちかく、再会してからは3年半後のことであった。
by imadadesign | 2014-08-01 08:24 | 書体雑記帳[漢字書体] | Comments(0)